(1564年2月15日〜1642年1月8日)
ピサ生まれの物理学者、天文学者。父は音楽家・数学家。ピサ大学で医学を学び19歳でユークリッド幾何学を学ぶ。その後数学、物理学の研究に専心する。1592年パドバ大学教授となる。1610年フィレンツェに移り研究をつづけ、1616年宗教裁判で地動説の禁止が申し渡された。
ピサ聖堂内に吊されたランプの運動を脈拍で計って振り子の等時性を発見したと言われている。ピサで落体の実験を行ったといわれているが証拠はない。重りを落下させると重い重りも軽い重りも同時に落下することから、アリストテレスの学説の誤りを実証し(1590)、落体の法則を発見し(1604)、これを定式化した。また、ガリレイ式望遠鏡を製作した(1609)。『異界からの報告』を著した(1610)。これによってガリレイの名声を高めた。木星の衛星、太陽の黒点等を発見した。これに対し教会から地動説の放棄を命ぜられた(1616)。1632年に出版された『天文対話』によって宗教裁判を受け著作は禁書となり、地動説を捨てるよう命ぜられた。終身刑から軟禁に減刑され、『新科学対話』がオランダで出版された。科学研究を続けたが失明した。