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岩手県で行われたシンポジウムの帰りに三陸海岸沿いを 八戸港まで走りました。その途中に津波被害で有名な田老町があります。 そこの防潮堤や被害の記録が書かれた露頭がありましたのでまとめておきます。

【まずは田老町の位置】

NASDAより

マピオンより

アメリカのランドサット衛星が、1999年5月22日に観測した東北地方・三陸海岸の画像です。

森林や草地といった緑の多いところが赤色で強調して表示されるような処理をしています。

画像右側に見えるぎざぎざとした複雑な海岸線が、日本を代表するリアス式海岸です。

岩手県から宮城県にかけて南北180Kmにわたって広がっており、小さな半島と入り江が入り組んで複雑な形状をしています。

起伏の多い陸地に地殻運動や海水面の変化などのために海水が浸入してでたものであり、谷が入り江となり、山は半島となりました。

このリアス式海岸は、天然の良港としても有名です。

クリックしたら大きな地図(NASDAより)をみれます。

 

リアス式海岸って?

屈曲した海岸線がみられるスペイン大西洋岸の地方で、湾を「リア」と呼ぶことから付いたのがリアス式海岸という名称です。

 

三陸海岸の良いところ

天然の良港としてだけではなく、三陸海岸の沖合いは、寒流である親潮と暖流である黒潮がぶつかり、魚が豊富に集まることから、よい漁場として知られています。海面温度を捉えた衛星画像NASDAより)からは、三陸沖で親潮と黒潮がぶつかっている様子を見ることができます。実際に見てみましょう。

 

ところが・・・

津波になると話は違ってきます。普通津波は入り江に入ってきたり水深の浅いところに来たりすると波高が非常に大きくなるのです。ということは、三陸海岸は・・・

まずは津波ですが

 地震が海底の底の浅い所で発生し、その地盤の上下変動が海底にまで伝わると、海底が瞬間的に持ち上がったり、へこんだりします。これにともない、海水が持ち上げられたり、引きこまれたりして波が立ちます。この波が津波です。津波は四方八方に広がり、はるか遠くまで伝わることがあります。例えば、南アメリカのチリ沖で起きた地震で発生した津波が、太平洋を渡って日本の海岸にまでやって来ることもあります。

 津波の進む速さはとても速く、しかも海の深さが深いほど速くなります。例えば5000mの深さの海の上では、時速720km(秒速200m)という速さで進み(これはほとんど飛行機並です)、陸に近づいても新幹線ほどの速さをたもっています。そのため、太平洋のはるかかなたで発生した地震でも、一日かけずに日本にやって来るわけです(昭和35年、南米のチリ沖で起きた地震によって発生した津波が東北の三陸海岸に押しよせ、大きな被害をもたらしました)。

 津波とは呼ばれるが、一般的な感覚では「」より、むしろ異常な潮の満ち引きで、海岸地域では海面の上昇、下降が数回から10回程度起こるのが普通です。海面の上昇が起きてから次の上昇が起こるまでの時間(周期)は、通常10分から20分くらいでしょう。津波が引くときには、あらゆるものを根こそぎにするほどで、家屋の倒壊などの被害は引きの時が多いようです。繰り返し高下するうちで、2、3回目の時に、最大の上げ、下げとなる場合が多いのです。ですから、最初の上下で事態を甘くみると、とりかえしのつかないことになりかねないというわけです。

 

チリ地震

昭和35年5月23日午前4時11分(日本時間)、南米チリ南部沿岸で起きたM8.5という20世紀最大の巨大地震は(11/25/1999現在)、チリ沿岸で10〜20mの大津波を発生させました。

 この津波は環太平洋全域に波及し、中でもハワイと日本沿岸に大きな被害をもたらしたのです。津波は一昼夜をかけて翌24日に震源から約1万7000キロ離れた日本に到着し北海道から沖縄に至りました。(チリ地震の津波画像)

 太平洋沿岸で4m前後の波高になり、高いところでは6mに達し、日本海側でも観測されたのです。

 ひとつの津波で日本全域にわたる影響を及ぼしたものは、日本近海で起きた津波にはこのほかにありません。これによって日本国内では北海道南岸、三陸沿岸、志摩半島沿岸を中心に、死者122人行方不明者17人、負傷者872人の被害を出し、また家屋被害は全壊6943棟、半壊2,136棟におよんだのです。特に岩手県大船渡市(死者50人)、宮城県志津川町(同37人)北海道浜中村(同11人)と被害が大きかったのです。

TUNAMIで通じるわけ

津波は英語でもTUNAMIで通じます。それはなぜなのでしょうか?

三陸南部沿岸はリアス式海岸で大小の湾が入り組み集落が湾奥の平地に発達してきたところで、非常に多くの大きな津波に襲われ、被害を受けてきたのです。田老町では明治29年6月15日(最大波高15m/死者・不明者859人 )昭和8年3月3日(最大波高10m/死者・不明者911人)の大津波の被害は特に大きく、昭和8年の三陸津波では惨状が世界に伝えられ「津波」は【Tunami】という国際用語となったのです。

 特に田老湾は入口部分の水深が深く、周囲が絶壁であるため津波が起こった場合、湾口で回し波の現象が起こって岬の内側に大きな被害をもたらす事が多かったのです。

 三王閣の崖下にこの2度の津波の高さを印した岩があり、規模・被害の様子を記す資料がその場所に建てられています。

 しかし、その二つの津波の被害を受けた田老町ではこれを教訓とし、町全体を包むかたちで防潮堤を築き、津波対策に万全を期していたため、チリ地震津波では被害がまったくなかったのです。

 

防潮堤

1933年の津波により壊滅的な打撃を受けた町民は、防潮堤の建設にのり出したのです。その計画はまず村費だけで着工し、戦争で一時中断しましたが、1954年関係官庁に陳情してついに町民の願いはかなえられ、工事が再開、1958年延長1350m、海面からの高さ10mという他に類を見ない防潮堤が完成したのです。その後、第2・3期工事が行われ、現在総延長2433mに達しこの防潮堤は町を2重に守っているのです。

津波予報Tsunami forecast

 津波は確かに速く伝わるのですが、速いとはいっても地震の波よりも遅いのです。これを利用して気象庁から津波予報が出されるというわけです。

 気象庁は地震計で地震波をキャッチし、海で浅い大きな地震が起きたかどうかを判断して、<大津波警報・津波警報・津波注意報・津波なし>、に分けて津波予報を行っています。大津波警報は波高3m以上、津波警報は波高2m程度、津波注意報は波高数十cm程度です。

 ただし、震源域に近い海岸では津波警報が住民に届く前に津波が来襲することもあるので注意が必要です。奥尻島を襲った1993年北海道南西沖地震の津波は、最高30.6mの標高まで海水が達しました。奥尻島南端の青苗には、地震発生約5分後に津波の第一波が届き、その12分後の第二波で3分の2の家屋が全壊・流失したのです。波高は3〜10mと推定されている。高さ10mの津波が海岸に押し寄せた場合、その速さは100m走のオリンピック選手なみで、とても逃げきれるものではないのです。

写真集

津波の記録
表示板
振り返ると
防潮堤の様子

防潮堤の上

避難所表示板

とにかく『絶句』です。あまりにも高いところに表示板が・・・考えるだけで・・・。

2つの代表的な津波の記録を表示しています。

下は防潮堤の設置図。防潮堤は高さ10m。

しかし、振り返ると本当に天然の良港としかいえない穏やかな海が広がっています。写真暗いです。

このような背景を知らなければ一種異様な感じさえ受けてしまいます。当然車が通れます。

防潮堤の上から見る景色はこんな感じです。やはり高いです。

国道沿いには、高台に通じる所に避難先の掲示がされています。町内には11カ所らしいです。

(振り返ると)
見えにくいで
すが、右の建
物の横です。
気沼山↑と
書いてます。

関連する施設

津波記念館  三陸鉄道北リアス線田老駅下車20分

三王閣の崖下  2度の津波の高さを印した岩(上の写真)

規模・被害の様子を記す資料  三王閣に行く途中の防潮堤壁面

津波記念碑→田老第一小学校脇  慰霊碑→役場の脇

 

三陸リンク集

みんなで潜ろう三陸海岸

三陸海底学習実行チーム
インターネットを利用した海底からのリアルタイム沿革共同学習の記録ページです!

東北大学大学院付属災害制御研究センター津波工学研究分野

東北大学大学院のページです。津波のことならここでどうぞ。

山田町津波の記録ページ

三陸の山田町のページ。町の津波史の記録があげられています。IEでどうぞ。





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